なぜ、北井一夫は隠岐で個展を開くのか? 第2章

 北井一夫は過去2回、隠岐を訪ねている。1974年と2003年、写真集「村へ。」で第一回木村伊兵衛賞を受賞し、長年探していた写真家としてのテーマらしきもの、そしてその撮影技法も形になり始めた時期であり、その延長線上で全国を巡り歩いていた頃にあたる。既に大学を後にし、家業を継ぎ、ふるさと隠岐に帰っていたKを訪ねている。

 K(隠岐の島町中村出身、中町在住)との出会いはかなり面白いものだった。ボサボサの長髪、着古したGパン(当時はこの呼名だった)、独特の風貌とやや無頼を気取っていたところがあった。話しているうちに隠岐出身である事を知った。満州で生まれ、東京の下町で育った北井は、このような人間を生んだ隠岐とはどういうところなのか漠然と考えていたことがあった。  日本中を嵐のように駆け巡った学生運動も、卒業の時期を迎える頃には沈静化に向かい、参加した各人も自分たちが反抗していた社会の中に否が応にも入っていった。

  一つの世界で秀でようと思えば一般にはない努力と、何としてでもという思いが必要である事は言うまでもない。北井本人も写真家として世に出る前は、長い苦闘の時期を過ごしている。食えない、将来への不安に押しつぶされそうになる時期を経験している。そんな時、七色に輝く貝が隠岐から送られてきた。七色に輝く貝などかってみたこともなかった北井にとって、一筋の光明を見たような気分だった。今でも自宅に大切にとっておかれている。更にKへの思いを新たにしていた。 

 「北井一夫写真展in隠岐」VOL2は出世作である村々の写真ではなく、村を捨てて都会に出てきた人々の風景を収めたものである。「フナバシストーリー」として出版されている。高度経済成長時、都市部に押寄せる人々の居場所とアイデンティティを定めたいという当時の千葉県船橋市長の意図を汲んだものである。どんなストーリーが展開されているのだろうか。

 

*掲載中の文章中に間違いがあり、下記の部分を訂正しています。誤解を招く表現となってしまい、申し訳ありませんでした。(2023年3月29日)

誤「北井一夫は過去2回、隠岐を訪ねている。1997年と2003年、写真集「村へ。」で、、、」

正「北井一夫は過去2回、隠岐を訪ねている。1974年と2003年、写真集「村へ。」で、、、」